2007年9月16日 マタイ10:16〜23 マタイ連講22「賢くありなさい」
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イエスは12人の弟子を使徒としてイスラエルの家の滅びたところに「天の御国が近づいた」と宣べ伝えるように命じられましたが、そこには多くの危険や困難があることを予告されました。 それゆえ16節でそれは「狼の中に羊を送り出すようなものです」と言っておられます。狼は凶暴な野獣であり、おとなしい羊などひとたまりもありません。狼の群のただ中に投げ込まれた羊、子羊を想像してみてください。一瞬にして噛み裂かれて終わりです。何と厳しい、絶望的な状況でしょう。 私たちは、キリストから離れては何も力のない現実を知り、危機意識を持ち危機管理をしなければなりません。戦いの本質を認識しなければならないのです。 これらの危険から身を守るためには、弟子たちに蛇のように賢明であれ、それと同時に蛇の持っている悪賢さではなく、鳩の持っている純粋さを持てと言っておられます。 「蛇」と「鳩」両極にある2つの生き物。水と油。清濁あわせ呑む。そんなことができなければならないのです。相手により、問題により、状況によって、「蛇の賢さ、知恵」と「鳩の従順、素直さ」を使い分ける。一方だけしか使いきれない指導者であってはなりません。二つを兼ね備えた強い指導者でなければならないのです。 またイエスは予想できる困難な例を上げておられています。それは弟子たちが、人々を惑わし、社会を混乱させる者として捕らえられ、裁判にかけられるということです。 「鞭打ちの刑」やさらにローマの地方総督である「長官」や、ローマ皇帝によって任命された国主であったヘデロ家の「王」たちの前に連れて行かれて、尋問されることも予告されました。しかし、心配するな。引き渡されたとき、どのように、何を話すべきかは神の聖霊によって教えてくださるので心配する必要はないとも教えられました。 家族、親族や、社会、国家からの厳しい迫害や危害が予想される時、勝利の主、栄光の主が暗闇の勢力を押さえ込んでくださる恵みを忘れてはなりません。 イエスは、与えられた任務を忠実に遂行し、いかなる迫害にも負けずに、「最後まで耐え忍ぶことは救われる」と約束しています。たとい、殉教の死を遂げるようなことがあっても、最後まで忠実であった者を、神は必ず救ってくださいます。 しかしイエスは弟子たちに、いたずらに殉教することは勧めませんでした。殉教こそが英雄的なクリスチャンの生き方のように考えている人がいますが、イエスは「彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。」と教えておられます。なぜなら、弟子たちが派遣された最大の目的は、殉教することではなく、福音を一人でも多く宣べ伝えることだったからです。 迫害を避けて逃げながらでも伝道するところに、キリスト教のしぶとさがあるのです。「使徒の働き」を見ても、初代教会のキリスト者は、このキリストの教えを守り、エルサレムで迫害が起こると、使徒だけを残し、他の人々は逃れて行って他の地方で伝道をしました。 キリストの御心は、家族の平和、国家社会の平和です。教会と家族に平和を。ただし特殊な時代、特殊な世界が起こりえます。信仰に妥協は禁物です。どのような時でも決して妥協してはなりません。 イエスは、ご自身が再臨する時までは、決して宣教のわざは完了しないのだから、迫害されたら逃げ回りながらでも伝道するようにと教えられたのです。ここにイエスの宣教に対する飽くなき執念が示されています。私たちも終末を目指して、世界中の人々すべてが救われるように励むべきなのです。(河野明) |
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