2007年9月9日 ピリピ4:10〜13 ピリピ連講12「あらゆる境遇に対処する秘訣」
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前回のメッセージでは、パウロはフィリピ教会にある不一致に対して、一致するために主にあって喜びなさいと勧めました。そうすれば平和の神がともにいてくださるという約束が与えられるのです。 その平和に神がともにいてくださるなら、あらゆる境遇にあって満足と喜びをエルことができるのです。それが本日のテーマです。 10節でパウロはフィリピ教会からの援助を感謝し、喜んでいます。しかしそれは贈り物をもらったから喜んでいるということではなく、フィリピ教会の人たちがパウロを心配し、支援物資を送ってくれたという彼らの愛の心が再び起こされ、それが具体的に形になって現れるのです。(第一ヨハネ3:18)そしてその愛の行動こそがフィリピ教会の人にとっても祝福なのです。(使徒の働き20:35)そのことをパウロは喜びました。(17節) 確かにフィリピ教会の支援はパウロを助けました。しかしパウロ自身はサポートがあってもなくても、貧しくても豊であっても、どのような境遇の中にあっても満ち足りていることができました。(11節、12節) 人はお金に対しては弱い者です。なければ不安、不満を持ち、ありすぎると高慢になります。箴言30:8はこのことをうまく表現しています。 貧しいことは確かに大変なことですが、信仰的な戦いからいえば豊かである方がはるかに誘惑が大きいのです。(ヤコブ1:9〜10)人はお金があればへりくだることが難しく低くなりにくい者です。豊であれば、まず考えるのは自分の必要や欲望を満たすことが多いのではないでしょうか。お金が有り余るほどあるからと言って、誰もが困っている人を助けるために援助したり、献金するとは限りません。(あの人お金持ちだからもっと献金したらいいのにと思ったりするのは自分にお金がないから言えることかもしれません。宝くじで100万円当たったら嬉しいでしょう。ではもし1億円当たったら100万円引いた9,900万円をささげることができるか。) それぐらいお金があってなおかつ謙遜にへりくだり仕える姿勢を持つことは難しいことです。(みんながそうではありませんが。豊でありながら立派なクリスチャンも大勢います。) しかしパウロは主を喜ぶことによって貧しくても、飢えていても落ち込むことなく、また豊であってもそれを管理することができました。物質的なものに左右されない霊的な世界を知っていたのです。 13節の「〜どんなことでもできるのです。」という御言葉は「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」という意味においての言葉であって、ここでは神の力によって奇跡や癒しが起こり、どんな願いでもかなうという意味ではありません。 パウロ自身も癒しを望んでいましたが、癒されませんでした。(第二コリント12:7〜10)またパウロはどれほど願っていない苦難を経験したことでしょう。(第二コリント11:23〜30) パウロはこのような弱さを覚えることの中で神の恵みと自分を強くしてくださる力を体験しました。パウロの誇りは自分の誇りではなく、弱さの中で力を下さる神、イエス・キリストを誇りました。 このフィリピ4:13は弱い私たちを自分の願っていないような状況の中でも、貧しくても豊かさの中にあっても、どのような境遇の中にあっても主がともにいて助けてくださり、それによりいつも変わらない神の平安を持ち、神を喜び、希望を持ち続けることを可能にする力なのです。これこそが私たちに与えられた霊的な祝福であり、あらゆる境遇に対処する秘訣です。(高内寿晴) |
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